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4月5日放送(第12回)の大河ドラマ「麒麟がくる」(NHK総合ほか)で、ついに織田信長(染谷将太)の父・織田信秀(高橋克典)が亡くなってしまいました。息子・信長への思いを帰蝶(川口春奈)に語り、望月東庵(堺正章)との双六を楽しみにしながら最期を迎えた信秀は、どんな心情だったのでしょうか。意外にも大河ドラマ初出演という高橋さんからコメントが到着しました! ── 大河ドラマ初出演ということでしたが、あらためて撮影のご感想を教えてください。 「撮影はとても楽しかったです。今回は4Kでの撮影もありますし、自分の年齢もあり、ポジションがそれまでと違ってきていますので、どんなお芝居が合うのか、模索しながら演じました。大河ドラマはすごくスケール感が大きく、どこに行っても大がかりなセットが組んであるので、毎回驚きました。大勢の出演者やスタッフがいますし、撮影がどんどん進んでいくという、僕にとってはなかなかない現場でしたので、非常に刺激的でした。"大河"という名のごとく大きな河の流れの中に、撮影自体もあるような気がしました」 ── 信秀という役柄をどのように演じていましたか?
5日に放送されたNHK大河ドラマ『麒麟がくる』(毎週日曜20:00~)第12回「十兵衛の嫁」で、長谷川博己演じる十兵衛こと明智光秀が、木村文乃演じる美濃の土豪・妻木氏の娘・熙子と結婚!
織田信秀、あのとき、ほんとは何て言ってた? 信秀の虫の息の遺言で、ちゃんと聞こえたのは「信長をよろしゅう頼むぞ」だけです。帰蝶はそれを「超訳」して、30倍に水増しして伝えました。不貞腐れていた信長は完全復活して、すっかりやる気になってます。 「信長を頼む」と「信長、尾張を頼む」とのあいだには、ものすごい飛躍があるでしょう? あんなに主体的に行動する帰蝶は画期的です、どんな汚い手を使っても信長に天下を取らせよう、という、「さすが蝮の娘、天晴れ!」と掛声をかけたくなりました。 女子三日会わずんば刮目して見よ! 病床の信秀が「信長を頼む」としか言わなかったのは、信長に跡を継がせようという意志がもうなくなっていたから、と私は考えます(もちろん、このドラマでの話ですよ、史実は知りません)。 前のシーンで、信秀は事実上、弟を後継指名しています。信長は廃嫡、とハッキリと言えないところが信秀の弱さですが、「息子としては可愛いが、跡継ぎには不足」ということです。 だから帰蝶には「信長が跡継ぎになれなくても、不貞腐れて変な気を起こしたりしないように、妻のおまえが支えてやってくれ」と、それが「信長を頼む」という意味じゃあないですかね。病気で、弱気になって、虫の息で、そんだけ言うのが精一杯だった、ということです。 それを「信長よ、尾張を頼む」と言った、と解釈するのは明らかに「超訳」であり無理筋です。しかし、帰蝶は敢えて勝負に出たってことです。 織田信秀は目茶苦茶優秀な戦国大名のはずです。守護代織田家の分家の一つに過ぎない身分から、尾張の支配者まで登り詰めた。何より、港を押さえて海運の利益で勢力を大きくした「経済センス」は出色です。その点は斎藤道三や今川義元より進んでます。 しかし、このドラマの信秀は、死際で衰えたと言わざるを得ません。 本当に強い戦国大名なら、信長にハッキリと廃嫡を申し渡し、不満な顔をしたらその場で成敗する、くらい出来なきゃ駄目でしょう?
I:例えば光秀の館や、信長の館の庭というか庭園が美しいということです。 A:確かに。見逃しがちなところですが、注目してみれば、「おっ」と思いますよね。手抜きがない。 I:あれは京都造園界の大家・北山安夫さんの指導によるものです。そういう部分にも注目して見てほしいですね。 ●ライターI 月刊『サライ』ライター。2020年2月号の明智光秀特集の取材を担当。猫が好き。 ●編集者A 月刊『サライ』編集者。歴史作家・安部龍太郎氏の「半島をゆく」を担当。初めて通しで視聴した大河ドラマは『草燃える』(79年)。NHKオンデマンドで過去の大河ドラマを夜中に視聴するのが楽しみ。編集を担当した『明智光秀伝 本能寺の変に至る派閥力学』も好評発売中。 構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり
あ、私はいま、あくまでドラマの話をしてます。歴史の真相は、知りませんよ。